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要旨
白石正久(大阪電気通信大学)
はじめに
糸賀一雄「一歳は一歳として、二歳は二歳として、その発達段階はそれぞれの意味をも
っているのであり、その時でなければ味わうことのできない独特の力がそのなかにこもっ
ているのである。一歳は二歳でないからといって低い価値なのではない。それぞれの段階
がもつ無限の可能性を信じ、それを豊かに充実させること以外におよそ人間の生き方とい
うものがあるべきであろうか。」『この子らを世の先に』(柏樹社)
T、思春期とは
1、思春期は、障害があろうとなかろうと、ほとんどの子どもに訪れる
*子どもからおとなへの過渡期である
*「第二次性徴」とともに始まる身体的心理的変化
*どうにもならないからだと心への不安、苛立ち.
2、「第二の誕生」にふさわしい自分探し
*それまでおとなの価値観に大きく依存してきたが……
*自分への関心と他者のまなざしへの過敏性の高まり
*憧れるにふさわしい自立モデル
*新しい自分、新しい人間関係のなかにいる自分に出会う
U、思春期の「問題行動」の理解について
1、「問題行動」をターゲットにしない
*「問題行動」そのものが、子どもの願い(したいこと)ではない:「わかっちゃいる
けどやめられない」、その裏には子どもの浅くない悩みがある
*無くそうと指導すると、相手の心に疑心暗鬼になり、その「問題行動」で相手の心を
確かめようとする
*その葛藤を理解すること共感をたいせつに
2、「問題行動」の裏にある発達の力の芽生えと発達の障害
たとえば
*「モノ」へのこだわり…周囲がみえるようになっている、心理的不安
*パニック…自分の意図が生まれている、あるいは場面を理解できないとき
*乱暴、わざと悪いことをする…相手への関心が生まれている、特定の人間関係を維持
するための一つの手段になっている
*性的な関心…人間として当然のこと、しかしそこにこだわらざるをえない狭い世界
3、子どもの自我、自己を育てることこそ、最良の問題解決法
*自分で葛藤を乗り越えることのたいせつさ
*新しい関係が結べる喜び
*意思が伝わる喜び、聞き取られる喜び
*自分もうれしいし、相手もうれしい
*子どもの自己認識の発展を、とくに社会的な関係における存在感を
V、生活を大切にする
1、自然な発達の道すじ
*発達に近道はないこと
*一つひとつ山を乗り越える喜びこそ、子どもへの贈り物
2、自然な生活
*心のバランスをたいせつに
*人間関係は、子どもが選びとるもの
*自然な時間の流れ
W、長い人生を見通して
1、信頼を包み込んだ期待でありたいこと
*発達の可能性が信頼されている喜び
2、自立ということのすばらしさ、たいせつさ
*自立は自然に芽生える発達の願いである
*自立は他者の価値観から自由になることである
*自立は自分の世界ができることである
*自立は自己信頼である
おわりに
パールバック「娘も、また人間でしたから、幸福になる権利を持っていました。その幸福とは、持てる可能性を発揮して、彼女が生活できるということだったのです。」『ネバーグリューチャイルド』
『発達の扉(上)子どもの発達の道すじ』、白石、かもがわ出版
『立った角扉(下)障害児の保育・教育・子育て』、白石、かもがわ出版
講座
発達とは矛盾をのりこえること
大阪電気通信大学 白石正久
第十九回 発達と教育をめぐる二つの道A
こうじくんの二〇年
幼児期には、他動であったり、「こだわりがきつくて周囲を困らせることの多い自閉症児も、学齢期になると、ことばの指示に応えてくれるようになり、落ちつきをみせることか多いでしよう。しかし、この時期こそ、それからの長い人生に開かれた、たいせつな別れ道であることを、わたしは子どもたちから教えられました。その一端を九月号で招介しましたが、今回は幼児期から成人期までをともにしてきた、こうじくんの育ちをたどりながら、もう一歩深めてみたいと思います。
こうじくんは20歳。ことばはあるものの会話はむずかしく、反響言語があります。現在の認識発達の段階は、大小、軽重などの対比的認識が獲得されたところです。幼児期は不安が強く、タオルやぬいぐるみを心の支えにしていました。砂など手につくものに触れられず、偏食もみられました。
しかし、就学が近づくころ、おいかけっこや、くすぐりなどを期待して楽しめるようになり、そんな遊びの要求の芽生えとともに、物や心の支えにすることはしだいになくなりました。散歩が好きになり、砂への抵抗も消えて嫌いだった砂遊びばかりするようになり、偏食も軽くなっていきました。
養護学校への入学とともに、外に出たい要求は高まり、雨が降っても散歩にいきたいのです。ところが、低学年期をおくるなかで、外出の要求は強まりなから、「行っていいよ」と言われなければ出かけなくなったり、外へ出るといつまでも帰らなかったのに、約束の時間に帰るようになってきました。
学枚では、配膳が手本通りにできるようになったり、牛乳ビンを並べて箱にかたづけられるようになったり、手遊びの模倣ができるようになっていったとのことです。自分の要求の強まりと、おとなのことばや手本にあわせなければならないという思いとが、彼のなかで葛藤していたときなのでしよう。そんなイライラがあるときに、自分の思いとちがった状況になると、パニックがおこりました。
高学年になるころ、別の養護学校に転校しました。自然環境に恵まれたその学校は、からだを動かして遊ぶことや外へ出たい要求の強い彼にとって、うってつけの条件がそろっていたようです。野山をかけめぐり、どろんこになって帰ってくるとしっかり着がえ、あとかたづけし、手を洗うというように、言われたからするのではなく、また、言われた通りにするのでもなく、自分の要求として教師の意図した課題をがんばるようになっていきました。
家庭では、家族とのキャッチボールの楽しさがわかり、それを求めて外に出たい要求は再び高まるようになりました。また、自転車で遠くまで出かけることもあり、家族にはそれが気がかりでした。
ところが、中学部に入るとキャッチボールを誘っても嫌がり、自転車での遠出もしなくなったのです。そのかわり、近くの商店街で、店の人にあいさつしてまわる日々が続くようになりました。そんな商店への訪問要求はますます高じ、お金を要求して出かけ、毎日どこかで飲食して帰るようになりました。お母さんは、この年齢ならば自分で飲食をすることも当然の要求だと心を整理され、少しのお小遣いをもたせて、彼の外出を妨げませんでした。
二年生になるころには、たとえばテレビの時報を聞いてから出かけ、しかもきまった時刻に帰宅して食事を要求するというような、変更のききにくい日課をつくるようになり、時刻通りでないとお母さんを叩くなど、耐えがたいパニックにもなりました。
そのころの彼の発達は、九月号でふれたように、順序や位置関係を認識したり、記憶する力が、はっきりと先行していたときでした。彼の日課も、このマッチングのカが強いことによって、同一性保持とも言える変更しにくさが強調されてはいましたが、彼なりの要求をうちにもっでいたことは間違いありません。一方彼は、言い聞かせれば缶ジュースを同じ場所で買わなくても、テレビのスポーツニュースがいつもの時間になくても、パニックにならないですむようになっていったのです。
生活のなかで、彼にとって一番たいせつなことは強く要求し、それか受け入れられないときには家族との衝突は避けられませんでした。しかし、それほどたいせつではない要求では、「約束、約束」などと自分で言いつつ、がまんできるようになっていき、日課のパターン化も、しだいに軽くなっていったのです。何が本当の自分の要求をのかを、彼は知るようになり、自分の要求だと思いこんでいたことを、すてさるようになりました。
中学部に進学してからのこうじくんは、家族との外出を嫌がるだけではなく、一人寝したがるようになったり、留守番ができるようになりました。先生は、彼を自主通学に挑戦させることにし、お母さんは、彼が日々訪れている近所の商店にあいさつしてまわられ、とまどわず受け入れてもらえるような環境をつくられました。また、彼が自転車で遠出をしたがるときには、ことばではできごとを報告してくれないであろう彼に、ボールペンとメモ用紙をもたせ、どこかで迷惑をかけるようなときには、それをさしだして、先方の名前を書いてもらうように教えたのです。
このようなとき、やむをえず外出を抑えるようになってしまったりするものですが、彼は、親が整え遠くで見守る舞台のうえで、人間関係だけではなく、「好き」な活動を広げていったのです。お母さんをそうさせたのは、障害をもっていても、自分の意思で生き、そして失敗を怖がらない人間になってほしいという強い願いからでした。もちろん、子どもの障害や発達の実態によって、どこまで子どもの主体性にゆだねられるかはむずかしい問題です。しかし、お母さんの自らの人生観をも反映したこうじくんへの願いは、だれにでも説得力をもって伝わってくるのではないでしょうか。
高等部になると、人間関係を広げるだけでは満足せず、八百屋さんでジャガイモを袋詰めすることや、牛乳屋さんで牛乳ビンを運ぶことを手伝わせてもらうようになりました。家でも、雨が降ってきたのを見て洗濯物を取り込んだり、お風呂を沸かしたりするようになっていったのです。
地域の人が彼をよく理解してくれるようになって、その人の輪のなかで、彼は「しごと」に憧れ、何が好きかと問えば、「しごと」と答えてくれるようになりました。「好き」ということばをはじめて使うようになったのは、ちょうどこのころです。彼は今、バスに乗り、長い道を歩いて、一人で作業所まで通っています。思春期をはじめとして、パニックのきついときはあったし、その原因ともなった変更のききにくい同一性保持の行動特徴もありました。
しかし、今、家族や周囲の人びとを苦しめることはほとんどありません。
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