きずなへ
「高機能自閉症の人からの提言 ドナ・ウイリアムズ」のセミナーに参加して思ったこと
自閉症協会奈良県支部 教育相談員 西田 清
ADHDエジソンクラブ 奈良支部設立準備会
2000年8月9日に国際治療教育研究所によるセミナーが、大阪の朝日生命ホールで行われました。会場は満員で、予約の段階で断られた人もかなりあったようです。ドナ・ウイリアムズさんは、高機能の自閉性障害者ですが、今はイギリスで自立した生活をパートナーのクリス氏としており、今回の来日中もずっと一緒でした。皆さんもご存知のように、ドナさんは自らの体験を5冊出版されており、日本では2冊が翻訳されてベストセラーになっています。「自閉症だった私へ」「こころという名の贈り物」新潮社がそうですが、自閉症だった私へは、読んでもなかなか内容がつかみ難いでしたが、講演を聴くことでかなり良く理解できるようになりました。しかし、彼女が書いている『ようこそ、私の世界へ』に入っていくのには、彼女独特の考え方を理解しないと、なかなか入れなくて、1時間ほどドナさんの講演を聴いてやっと彼女の自閉性障害者の立場に立った話を理解できるようになりました。10時から始まり、午後6時過ぎまででしたが、自閉性障害者の立場に立った思考と話でしたので、非自閉症者の私はドナさんの話を理解しようとして、いつもとは全く違う思考のチャンネルを使いましたので、講座の終わりごろになるととても疲れました。それと同時に、自閉性障害児者は、今日の私のように毎日が非自閉性障害者(健常者)との付き合いですので、毎日とても大変な思いをしており、すごく疲れてストレスが溜まるだろうなと改めて思いました。私たちは、自閉性障害者がコミュニケーションをとるのにどれほど苦労をし、どのように思って日々暮らしているのか、考えたことがどれだけあるでしょうか。自閉性障害児者の心に寄り添った療育がどれほど大切か、彼等の心や思考を無視した押し付の訓練や療法がどれだけ彼等を傷つけているのかを痛切に感じました。ドナさんは、講演の中で「自閉症やアスペルガー症候群は一つのタイプではない。いずれも計り知れないものではなく、量が増大した常態性の一種である。自閉症のスペクトルの状態を一つのものとして、一つのラベルをつけると、我々に理解できないであろう大きな神秘に直面し、自分の子どもに起きていることに適合するかもしれない、適合しないかもしれないプログラムを買おうと殺到することになる。ある段階では上手くいっている方法も、違う段階になると不適切になることもある。極めて表出不安の強い子どもは、行動変容プログラムの下ではうまくいかないかもしれないし、自身の行動を模倣する何かによってゆがんだ自己意識を高めてしまうかもしれない。人生を何とかやっていけると言うことではなく、彼等を人として同一視することが真の自立なのである。それでも情報処理の問題の大きな子どもは、行動変容のプログラムの持つ予知性と明確な規則によりプラス効果が得られるかもしれない。プログラムの中には、コンプライアンスを高めるものもあるが、これはその人が学んだように見えたものとの真の同一視が基礎になっていなければ思春期に躓くことになる。」と述べておられる。アメリカ在住で、日本人の障害を持っている家族を支援している、ローエンスタイン・一枝さん発行しているニュースレター2000年8月―9月号によると「5月6日のニューヨークタイムスに以下の記事が載っていました。抜粋で一部を載せて見ます。ABA療法はそんなに効果があるのか?というタイトルです。今、自閉性障害児を持つアメリカの親の間で最も人気があるといわれ、国内ばかりか海外からも、適切なサービスを求めて自閉症児を持つ家族が、ニュージャージー州やマサーチュセッツ州などABA(Applied Behavior Anaiysis)プログラムの充実した州へ移住するケースがここ数年目だっている。児童一人に年間4万ドルかかるという、 中略 今、自閉症児を持つアメリカの親の間で、一番人気があるとされABAプログラムは、時間と費用と努力を要する1対1の教え方でこの記事に掲載されているManndel家のSam のように非常に短期間に進歩が見られたと言うケースも多々あるのだが。」と新しい行動療法の紹介があります。が、もう少し詳しい事実関係を検討してみることが必要です。「一つのプログラムに頼らず、行動、感覚、スピーチ、運動など総合的なプログラムを作成して実行にうつすことが自閉症には適した方法であるといえます。日本語版リソースブック、JSPACC 発行」などの意見は大切にしなければならないのではないかと思います。 今、さまざまな療法でのチャレンジが行われていますが、私たちは子どもが心を開き、成長とともに一人の人間として、自己決定ができ、自律することができるようにすることが、一番大切ではないでしょうか。人から言われないと出来ないような、指示待ち人間を作り出さないようにすること、人間としての全面発達が大切です。
ドナさんの他に、特別のゲストとしてテレビドラマの「君が教えてくれたこと」のモデルと言われているニキ・リンコさんが登場してドナさんと話されました。ニキ・リンコさんは、アスペルガー症候群だそうですが、現在は英語の翻訳を職業にしています。訳書には高機能自閉性障害者の書いた本「ずっと普通になりたかった」グニラ・ガーランド著 ニキ・リンコ訳 花風社 1700円があります。アスペルガーや高機能障害を理解しようとする人には是非とも読んで欲しい本です。一読をお勧めいたします。
「ずっと普通になりたかった」の本の訳者あとがきの中から、大変に参考になりますので、一部を引用します。『ふと気がつくと、そこは舞台の上。周りでは芝居が進行している。本番中らしい。自分以外の全員がせりふを知っているようだ。なのに自分ひとりが、台本を読んだことも無ければ、自分が誰の役なのかも知らない。第一これがなんと言う物語なのかさえ分からない。』これはアメリカのテネシー州に住む高機能自閉症の大学院生、ジュアド・ブラックバーン君の書いたものです。彼に限らず、自閉症スペクトル(広義の自閉症)に属する障害のある人多くの多くは、常にこんな思いを抱えて暮らしています。自閉症だった私への著者、ドナ・ウイリアムズも、私も、そして本書の著者グニラ・ガーランドも。私たちにとって、この世界はとても混乱する場所です。物心ついたときから、自分なりに精一杯考えて普通に生活しているつもりなのに、わけのわからない理由でほめられる。かと思えば、今度はわけのわからない理由で叱られる。どんな共通項があるのだろう?どんな法則があるのだろう?記憶のある限りの前例を再生しては比較し、仮説をたてる。そのくり返しである。そして年齢が進み、周囲が目えてくると、ある日、はたと気がつくのです。どうも皆は自分の知らないことを知っているらしい。自分の知らないところで打ち合わせをすませているらしい。なぜ自分だけ、みんなと同じように正しく反応できないのだろう。中略 自閉症スペクトル上の人々には、『暗黙の約束』を読み取る勘がありません。そんな私たちにとっては、記憶力と論理に頼り、計算にしたがって演技をするのは、生活のために必要な工夫なのです。車椅子や点字と同じで、自然で正当なことなのです。なのに、このままではダメだ。普通にならなくてはと思いつめて、自分を見失う。そこまでの犠牲を払って努力したのに、今度は『他の人間をかたどった、安っぽいまがいもの、でき損ないの複製になってしまった』意識にさいなまれる。『もっと気楽なタイプにならなくては、あまり考えずに、素直に反応するようにならなくてはという思いがつのって』いくなんて。『気楽に、素直に、自然体で』論理と計算と秩序にすがって、どうにか周囲に適応している自閉症スペクトル上の人々にとって、これほど厄介なメッセージはありません。』
彼女は、30代になって専門家のもとを訪れ、自閉症スペクトル上のどこかに位置すると診断され、たぶんアスペルガー症候群に近いと言われます。障害と診断されてショックではなく安心します。自分に障害があると知って、屈辱から解放されます。みんなと同じことが出来ないのは自分のせいではないことがわかったからです。海外の高機能自閉症の人とのEメールでの交流に支えられて、ニキさんは、普通にならなければという思い込みを手放していくようになります。そのことを彼女は「なぜって、自閉仲間に囲まれてみたら、私はとても普通、正常だったのですから。私たちには、『私たちの普通』があるのだ。非自閉社会から見た私たちは全員、異常かもしれないが、自閉コミュニテイの中では、これが普通だとわかったのです。中略 普通にならなければと思いつめるのを辞めて二年。私もちょっと、普通になれたのかもしれません。」
この部分を理解しないと、ドナ・ウイリアムズさんの話も、なかなかわからないと思います。前から私は、自閉性障害の人は、視覚障害の人に点字が必要なように、自閉の彼等の持つ独自の思考を認めて、非自閉性障害の私たちが彼等の考えや感じ方を理解していくのが、本当の障害児教育ではないかと思って来ました。私がこのセミナーで一番なるほどと思ったのがこの部分でした。ニキさんと話をする時のドナさんは、本当に嬉しそうな、にこやかな顔と、私たちに話をするときは緊張した顔を見せるドナさんの違いは、このことを物語っていると思いました。
ドナさんが話した内容を簡単に挙げます。ところどころで、西田が思ったことを書きこんだ個所( )があります。
☆自閉症の3つの側面『T 感覚のシステ U 関係の問題(単一である) V 表出不安(間接的対面)』
ドナさんによると「自閉症の障害の大半は、これらの側面そのものにあるのではなく、「自己虐待、儀式、脅迫観念、ならびに動揺」などの二次問題である。
これらは一部状態そのものの混乱や、フラストレーションならびに孤立によって起きているが、なかには状態とは関係なく、自己のシステムと世間のシステムが適合していないことによる問題もある。」このように話されて、私も納得しました。アスペルガーと、高機能自閉の違いにも触れられ、自閉は感覚のシステムが違うが、アスペルガーは頭で物事を捉えられる(何かは分かる)が、なぜかが分からないと解説されました。
T 感覚のシステム
自閉症 非自閉症
体で世界を感じる世界である。 解釈の世界であり、多チャンネルの世界で
感覚を通して世界を理解する。 ある。同時に、いくつもの処理ができる。
単一のチャンネル。同時に幾つもの事は
処理できない。感覚のシステムが我々の
すべての出発点である。感覚のシステムは、我々が体を通して世界を経験する場所である。我々が知覚するものである。
感覚のシステムが自閉症の場所である。そこで我々は世界の現実や、その要素の相対的重要性を支配している概念というフィルターを通して見聞きすることを学ぶ前に、世界をありのままに見ている。
例えば、非自閉症の人は、このプラスチックの箱を見ると、スライドを入れる箱だと認識します。つまり頭で考えています。自閉の私は、感覚で見ています。「緑色と透明できれい。ここのへこんだ所から覗くと、物が大きく見える。この箱の中に私の心を入れようかな」と思います。
非自閉の人と、直接的に対面でアプローチされることは、(私の感覚とは)異質のもので、自閉症の立場の人からすると、直接目の中に指を突っ込まれるような感じで、非常に怖い。
信頼
感覚への信頼:見ることを聞くこととし、触れることを見ることとし、パターンやシステムを体で感じる。人をパターンとして信頼する。
自己
自己という概念は無い。私はいた、しかし私が何者であったかは問題ではない。自己と他者の同時共存の感覚は無い。他者は、私の空間に影響を与えるものとしてしか感じなかった。自閉の人も頭で考えているのだ、というように考えるべきでない。自閉の世界は非自閉者とは違うのだ。
世界との関係
私は他の人の世界を尊重した。彼等は、私の尊敬に敬意を示さず、彼等の非自閉症のコミュニケーションや、関係の枠組みにおける正常性、自立の名のもとに、私の世界に侵入してきた。
同一視
我々は年齢を重ねて、唯一一貫性のあるものが感覚のシステムとなる。読字障害の人が読書を嫌がるように、感覚のシステムの中で生活している人は、情報を解釈しろと薦められることによるフラストレーションを嫌うようになる。そのフラストレーションは、次第に不当な要求、侵入と感じられるようになり、その結果戦いになる。(つまり、自閉の人の感じ方を大切にする。自分の世界に引き入れるのではなく、非自閉者が相手の世界に入って理解することの大切さ。西田はこう理解しました)
感覚から解釈へ
両方の世界の一番良いところを追求しなさい。彼等のふるさとである感覚のシステム、同一視の感覚、信頼の場所を保持することの権利を尊重し、同時に解釈を用いる能力を求め、発達させる機会を尊重しなさい。理解の順番は、感覚→システムを身に付ける→解釈のシステムが理解できるようになる。しかし、解釈のシステムは私にとっては、第二外国語のようなものである。信頼を浸透させたいと思えば、それに相応しくなりなさい。その人のシステムを理解しなさい。探求する動機を浸透させたいなら、人が耐え、その上でさらなる意思を求めて、戻ってこようという動機付けを失わない寛容性の量を意識しなさい。(これが自立の情緒面での基盤となる) そしてそれを手にするために少しずつ、一生懸命取り組み、あなた自身の上にある世界であるかのように振舞いなさい。待ったり、依存したり、相手の関与を期待するのでなく、その人が最も望むように。(ここでは非常に大切な指摘をしています。私らの非自閉者が、どのように接するべきかを述べています。日本語に噛み砕いて理解をしていきましょう。)
U 関係の問題
自閉症は単一のチャンネルだが、非自閉症者は多チャンネル、マルチトラックであるので、同時にいくつもの事に対応できるが、自閉は単一のチャンネルなので、それはできない。
単一であることは、感覚の洪水に対する適応である。解釈の世界において、単一であることの意味。常にコントロールを奪われたという感覚を持っているので、あなたの置かれている環境をコントロールし、すべてのものをできるだけ予期できる状態に保ったり、自分のコントロール下に置いたりすることを主張することで、代償しようとする。
関係の問題の取り組む方法は二通りある。
@ 環境から情報の過負荷を低減する。A2情報処理を最大限にする。
☆情報負荷を低減する。情報量を少なくして、スローダウンしてやる。自閉症は、単一でないと、情報を受け取れない。
1単一の人に対しては、単一の方法でアプローチし、移行する。
2その人に新しい情報、内容のシフト、会話のシフトを与えるときには、その間に3秒の休憩を与える。
3あなたの行為、会話の速度を落とし、与える情報量を減らし、残ったものを一貫性を持って、深く処理できる時間を与える。(話しかける場合には、相手の人一人だけに話しかける。情報量が多すぎて、処理ができない。→相手が何を言っているか、情報の洪水だと理解ができなくなる。)
4天井の照明(特に蛍光灯)パターン模様の壁紙などの不必要な情報を低減する。壁の色は強い色を使うことで、背景と前景の対比が直ぐできるようにし、物の認識を用意にする。絨毯の模様などが複雑だと、それに気を取られて、相手のことが分からなくなる。レストランで、換気扇が回ると、その音に気を取られて、どこにいるの分からなくなるが→換気扇の無いレストランの外に出ると自分がどこにいるか分かる。
5言葉を、視覚的、具体的にする。:例えば、物を通して語ったり、移行を絵で例示したりする。例えば、具体的な模型の家やバスのおもちゃなどを使うとよく分かる。
その人に直ぐ容易に思い出せる、持ち運びできる単語・絵の表を与え、情報の過負荷にあっても必要なときに分を作る手助けとする。リズムを取って、1・2・3、さあ出発、1,2,3、さあバスに乗ろう→全体にスローダウンしたというように思ってもらう感じを持たせる。
5情報処理が低下したり、落ちたときに使える、自分を落ち着かせる方策を導入する。
6この先の移行へのなじみをつけるために、慣れ親しんだものや家を訪問する。
V 表出不安
表出不安とは、極度の人見知りを50倍にしたようなものである。表出不安とは、感覚のシステムに生きていることの自然な社会的、情緒的結果であり誰もがここから出発をしていて、そのうちの一部の人だけがこれを持ちつづけている。
直接的でなく、間接的なかかわりをする。直接的なかかわりを要求されると、横を向いて無視したくなる。真正面から迫ると、顔をせてしまう。(このことは、私たちもよく経験しますが、自閉者の本人からも同じことを言われて、間違っていなかったことが確認できました。)意思の許容限度を超えて強制すると、表出不安は高まり、不本意の回避迂回、報復反応につながることもある。誰かが○○をしているのだと思うとできるが、他の人から○○してくださいと直接頼まれると、不安になって余計できなくなってしまう。自らはできない、独力ではできない、自分としてはできないので、その時には、具体物や絵や文字を書いて話をするのは、直接的でないので不安が無い。サングラスをかけていますが、これは余分な色彩をカットしてくれて、残りの情報を少なくしてくれている。圧迫感、情報の過多をカットしてくれるので、他の人との接触がやり易くなります。表出不安とは、自分の存在をあまりにもクローズアップして、目の前に感じることであり、その結果自分の表現を意識的に自覚したり、それに責任を取ることを本能的に避けようとする。意思の許容量の限界を超えて強制すると、表出不安は高まり、不本意の回避、迂回、反応につながることもある。
(非常に高機能自閉症や、アスペルガー症候群の人の内面についての、理解に役立つドナさんの講演会でした。)
★奈良県内でADHD(注意欠陥多動性障害)で悩んでおられる父母の方を中心にして、保育士や教師や療育者の皆さんと会を作ります。希望の方は電話かメールをください。電話・ファック 0744−23−3362 西田
Eメール fwkk3144@mb.infoweb.ne.jp
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